2003年日語(yǔ)一級(jí)真題和答案

れいです。
2 これは暗くてもうつるフィルムです。
3 この部屋には白いカーテンがよくうつりますね
4 彼のふるまいは大人達(dá)の目に自分勝手にうつった。
問(wèn)題Ⅶ 次の61から65の言葉の使い方として最も適當(dāng)なものを、1,2,3,4
から一つ選びなさい。
61 単一
1 私の単一の趣味は釣りだ。
2 庭の手入れは単一に父の仕事だ。
3 このアルバイトは単一で飽きる。
4 ヨーロッパでは単一の通貨が使われている。
62 しなやか
1 彼女の手はしなやかしている。
2 車がぶつかってしなやかにへこんだ。
3 あの選手の動(dòng)きはとてもしなやかだ。
4 この床はよく磨いてあってしなやかだ。
63 ぶかぶか
1 大粒の雨がぶかぶか降ってきた。
2 晴れた空に雲(yún)がぶかぶか浮かんでいる。
3 うちの子は食欲があって、ぶかぶか食べる。
4 この靴はぶかぶかで、歩くとぬげてしまう。
64 終日
1 この駅は終日禁煙だ。
2 1月は31日が終日です。
3 明日はレポート提出の終日です。
4 昨日の終日は音楽を聴いてゆっくりした。
65 両立
1 昨日は仕事と家庭を両立した。
2 勉強(qiáng)とアルバイトはなかなか両立しない。
3 何とかして父の希望も母の希望も両立したい。
4 駅の東口と西口に二つのデパートが両立している。
2003 1級(jí) 読解 文法
問(wèn)題Ⅰ 次の文章を読んで、後の問(wèn)いに答えなさい。答えは、1,2,3,4から最も
適當(dāng)なものを一つ選びなさい。
教育の現(xiàn)場(chǎng)に攜わるものとして以前からきになることがあった。學(xué)生たちと何を議論し
①
ていても、たいていだれかが「私はこう思うけれど、人それぞれ、いろいろな考えがある
と思うし、それでいい」という趣旨の意見(jiàn)を述べ、そのとたん、議論が成り立たなくなる
ことである。
「人それぞれ」で「何でもあり」となれば、社會(huì)問(wèn)題の大半が個(gè)人の好みと選択の問(wèn)題
に矮小化されてしまう。ゼミでは「人それぞれ」を禁句にするなどの対策をとってはみた
(注1) ② (注2)
ものの、私は學(xué)生の間に蔓延する個(gè)人志向的考え方にきちんと対峙できずにいた。そのよ
(注3) (注4)
うなとき、ある授業(yè)で學(xué)生たちが書(shū)いたりレポートを読んで、頭を毆られたようなショックを受けた。
このところ過(guò)失とはとうてい思えないような悲慘な交通事故のニュースが相次いでいる。そこで交通事故や被害者の人権について、これから免許を取得する若い人に考えてもらいたくて、二木雄策氏の『交通死』という本の読書(shū)リポートを課した。
大學(xué)生だった二木氏のお嬢さんは、自転車で交差點(diǎn)を橫斷中、赤信號(hào)を無(wú)視して突入し
てきた自動(dòng)車にはねられて亡くなった。加害者の女性は執(zhí)行猶予付きの判決で刑務(wù)所に
(注5) (注6) (注7)
入ることもなく、また、損害賠償の交渉も支払いも保険會(huì)社が代行した。
加害者の信號(hào)無(wú)視で被害者は命を奪われたのに、被害者は(少なくとも形の上では)以前と変わらぬ生活を送ることができるのだ。加害者に手厚い現(xiàn)行の諸制度は、人の命より
(注8) ③
も車(イコール企業(yè))を重んじる社會(huì)だとの筆者の主張には説得力があると私は思っていた。
ところが少なからぬ學(xué)生の反応は予想をしないものだった。「加害者がかわいそう」だ
と言うのである。被害者の立場(chǎng)からの主張のみが述べられているのは「客観性に欠ける」
という。私は頭を抱えてしまった。二木氏の文章は、娘を失った父親の沈痛な思いが
④
せつせつと伝わってくるものの、決して激情に駆られて書(shū)かれたものではない。むしろ
(注9) (注10)
よくここまで冷靜に書(shū)けるものだと感心するくらいなのだ。
もちろん被害者には被害者の人生がある。しかし學(xué)生たちは、その人生に豊かな社會(huì)的
想像力を動(dòng)かせるわけでもなく。単に、被害者側(cè)の見(jiàn)解だけでは一方的だと主張する。
杓子定規(guī)に客観的.中立的立場(chǎng)を求めなければいけないと思い込んでいるようなのだ
(注11)
まるで立場(chǎng)の異なる二者の間で意見(jiàn)の対立が見(jiàn)られた場(chǎng)合には、足して二で割ればちょうどよいとでも言わんばかりに。
なぜ學(xué)生たちは、加害者と被害者の対立図式にこだわり、著者が訴える問(wèn)題の社會(huì)的広がりに気づかないのか。もどかしい思いでリポートを読むうちに合點(diǎn)がいった。例の「人
(注12) (注13)
それぞれ」である。
あらゆる意見(jiàn)が私的なものであれば、娘の交通事故死を経験して「くるま社會(huì)」の異常
さを訴える父親の主張も一つの個(gè)人的の立場(chǎng)に過(guò)ぎず、その意味では加害者の立場(chǎng)と等価なのだ。主張の対立のなかから、あるべき社會(huì)の姿を模索する努力を放棄したとき、社會(huì)正義は足して二で割るというような手続き上の公平さに求めざるを得ない。
(小笠原祐子「『何でもあり個(gè)人主義』の退廃」2000年7月11日付朝日新聞
