2001年日語一級真題答案

ではなく、職業、教育や所得に関する平等・不平等問題を論じる。
例えば親の階層(職業や所得)の不利さが子供の學歴達成に支障となることを考えてみよう。親の所得が高くないために、子供が大學進學をあきらめたケースはどうだろうか。奨學金制度が充実しておけば、本人の能力と努力がある限り、大學進學の道は開かれている。わが國の奨學金制度がさほど充実していないことは、アメリカとの比較で明らかである。わが國には機會の不平等は殘っているといえる。逆に、アメリカでは機會の平等への執著は強いといえる。もっともわが國においても、國民の所得水準が向上したことによって、親の経済力が原因となって進學できないというケースは以前より減少しており、この問題の不平等性は低下している。
もう一つ例をあげてみよう。企業が新卒者を採用する時に指定校制度というのがある。特定大學の學生のみに受験・面接の機會が與えられ、他の大學生にはその機會がない制度である。企業がこの制度を採用する理由は次の通りである。第一に、入學試験の難しい大學や、良い教育をしている大學の學生は知的活動や生産性の上で優秀な學生という印象がある。第二に、それらの大學に卒業生が、企業で良い成果を上げていることをその企業が知っている。第三に、募集してくるすべての學生を無制限に選考すればコストがかかる。これらを要約すれば、企業にとっては合理的かつ選択のリスクが小さい制度である。
ただし、ここで指定校制度の合理性を指摘することによって、「受験戦爭」を肯定する気はない。(中略)過酷な「受験戦爭」には負の側面が多いので、戦爭をなくする必要性は高い。
ところで、特定大學以外の學生にとっては、就職試験の機會が最初から排除されているので、機會の不平等と映るかもしれない。確かにその側面があることは否定しえないが、よく考えるとその人達にも特定の大學の受験の機會が高校生の時にあったわけで、機會の平等が完全に排除されていたとはいえない。実際にその大學を受験したかどうかは問題ではない。しかし高校生にまで企業に指定校制度があることを知っている、と期待するのは酷である。機會の平等をこのように考えてみると、意外に複雑な原理なのである。
機會均等の原理を実施することは容易ではないが、理想として常に念頭のおかれるべき原理である。すべての意欲のある人には、參加と競爭の機會が與えられることが望ましい。教育の機會、仕事の機會、就職の機會、昇進の機會、人生上の様様な活動において多くの人に平等な機會が與えられた末に、參加者が競い合うこととなる。競爭の結果勝者と敗者が出ることは仕方がないことだし、勝者にも順位づけが行われることもやむをえない。
問1 第2段落の內容と合っているものは、どれか。
1 日本では親の経済力が高くないために子供が進學できないケースは減ってきている。
2 日本では親の経済力が高くないために子供が進學できないケースが依然として多い。
3 アメリカでは機會の平等が重視されるが、奨學金制度は日本ほど充実していない。
4 アメリカでは機會の平等が日本ほど重視されないが、奨學金制度は充実している。
問2 指定校制度の特徴として、筆者の説明と合うものはどれか。
1 特定の大學の卒業生だけがその企業で働くようになるため、企業に対して忠実な社員を増やすことができる。
2 多くの學生の中から選ぶことになるため、企業は入社後すぐに成果を上げられる人を見つけることができる。
3 特定の大學以外の學生は、応募する際に試験を受けなければならないため、一定の基準以上の人を選ぶことができる。
4 優秀な學生がいると考えられる大學の學生だけが応募できるため、企業は低いコストで適當な人を選ぶことができる。
問3 「その人達」とは、どのような人を指しているか。
1 大學授業をしなかった高校生
2 企業の採用試験に応募してくるすべての學生
3 企業が受験・面接の機會を與えていない大學の學生
4 企業が受験・面接の機會を與えている特定大學の學生
問4 高校の階段にまでさかのぼって考えた場合、指定校制度と機會の平等について筆者はどのように評価しているか。
1 高校生が指定校制度がなくなることを期待するはずがないから、機會の不平等はそれほど大きな問題ではない。
2 高校生は指定校制度があることを知ったうえで大學を受験しているのだから、機會の不平等はそれほど大きな問題ではない。
3 どんな高校生でも指定校の大學を受験することはできるが、すべての受験生が合格できるわけではないから、機會が平等であるとは言いきれない。
4 どんな高校生でも指定校の大學を受験することはできるが、指定校制度の存在はほとんど知らないだろうから、機會が平等であるとは言いきれない。
問5 筆者がこの文章で最も言いたいことは、どれか。
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