2002年日語一級真題
時間:2005-4-3 20:21:30 作者:alex
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2002年日語一級真題
本を読み続けても、面白くなるとはかぎらない。
2 買った本を何度も読めば、その価値が分かるようになるはずだ。
3 読書の面白さを知るためには、まず本を買って身近に置くことだ。
4 本の面白さは年齢によって変わるので、小學生からの読書が大切だ。
(2)大學の講義やゼミセールの場を通し、折にふれ、私は學生諸君に向かって、「せっかく大學に入ったのだから、一つでも多く知的感動を味わい、學問を楽しんでほしい」と語りかけている。
しかし、現(xiàn)狀を見ていると―――もとより私の力不足もあろうが―――殘念ながら、こうしたメッセージが若い諸君の心に十分、伝わっているとはいい難い。彼らのほとんどにとって楽しみの対象といえば、サークル活動やスポーツ、音楽、映畫、漫畫、あるいはさまざまなレジャーであり、それらはいずれも學問とは距離を置いたところにあるからである。
、私が日々接している學生諸君について言えば、彼らの多くは決して學業(yè)をおろそかにしているわけではない。彼らはそれなりに勉強し、高い學力を持っていることは間違いない。
こう書くといささか矛盾めくように聞こえるかもしれないが、大方の學生にとっては學問を楽しむ心の余裕を持つ以前に、まずは目先の目標を順にかたづけなければならないという“強迫観念”を先行するのであろう。具體的にいえば、単位の取得、進學、就職など実利的な目標の達成が、焦眉の急なのである。それはそれで仕方ないのであろうが、こせこせせず、もう少し精神の豊かさをもって學問を見つめ直し、大學生活を送ってもらいたいと、つい注文をつけたくなる。
問1 「こうしたメッセージ」とあるが、どんなメッセージか。
1 大學に入ったのだから、學問上のおもしろさを知ってほしい。
2 大學に入ったのだから、學問とは別の楽しみも見つけてほしい。
3 大學での卒業(yè)をおろそかにしないで、高い學力を身につけてほしい。
4 大學卒業(yè)のために必要な単位をとり、自分の希望をかなえてほしい。
問2 の中に入るものはどれか。
1 それゆえ 2 だからこそ 3 それどころか 4 かといって
問3 「それはそれで仕方ない」とあるが、何が仕方がないのか。
1 學生に伝えたい自分の思いが十分伝わらないこと
2 サークル活動やスポーツを楽しみの対象とすること
3 目先の目標をかたづけなければならないとあせること
4 一つでも多く、知的感動を味わい、學問を楽しもうと思うこと
問4 筆者によれば、現(xiàn)在のほとんどの學生の目標は何か。
1 精神の豊かさをもって學問を見つめなおすこと
2 いい成績を取って、進學あるいは就職を果たすこと
3 サークル活動やスポーツなどにより學問と距離を置くこと
4 自分のメッセージを、他の人に十分伝わるようにすること
(3)世界の諸民族のあいさつを調(diào)べてみると、(中略)握手に代表されるような相互的なあいさつはきわめてめずらしいことがよく分かる。それはたいていの社會で、身分や地位や役割がはっきり定めっているからにほかならない。また、毎日の軽いあいさつがおこなわれる社會が少ないというのは、それらの社會では人びとはもっぱら家族や親族や部族など所屬する社會集団の成員として生きていて、個人としての役割があまりみとめられていないことと関係している。そうした集団內(nèi)では、物のやり取りなどの際にも、ふつうあいさつはいらないのである。たとえばインドでは家族や友人のあいだではふつう感謝の表現(xiàn)はおこなわれない。かえってタブー視されるのだが、家族の食卓で塩を手渡してもらっても「ありがとう」という歐米流は、家族が一體になって暮らす社會では、むしろ“他人行儀”なことなのだろう。
日本人もいつのまにか家族のなかで「ありがとう」をくりかえすようになった。しかも、それは文句なしによい習慣とかんがえられているようだ。それは家族が身を寄せ合うようにして生きていた暮らしがすっかり過去のものになり、人間関係が様変わりしたことを如実に物語っている。
問1 「相互的なあいさつはきわめてめずらしい」とあるが、なぜか。
1 多くの社會では、人々の身分や役割がきまっているから
2 身分や地位に関係なく、握手が代表的なあいさつだから
3 毎日の軽いあいさつがおこなわれるのが、あたりまえだから
4 世界の諸民族では、身分や役割がまだはっきり定まっていないから
問2 インドについての説明として正しいものはどれか。
1 個人としての役割がみとめられているので、ふつう家族に「ありがとう」と言わない。
2 家族の食卓で塩を手渡してもらって感謝の表現(xiàn)を使わないことは、タブー視される。
3 家族や親族などの社會集団の成員同士の間では、感謝の表現(xiàn)がよく使われる。
4 家族が一體となって暮らす社會なので、あまり「ありがとう」と言わない。
問3 日本についての説明として正しいものはどれか。
1 「ありがとう」がよい習慣と考えられるのは、人間関係がかわって個人としての役割があまりみとめられていないからである。
2 かつては家庭の中で感謝の表現(xiàn)はあまり使われなかったが、最近はよい習慣と考えられて頻繁に使われる。
3 昔から家庭の中では感謝の言葉がよく使われていたが、最近は文句なしのよい習慣として定著している。
4 家庭の中で感謝の言葉がよく使われるのは、家族が身を寄せ合うようにして暮らしているからである。
問題Ⅲ 次の(1)から(4)の文章を読んで、それぞれの問いに対する答えとして最も適當なものを1・2・3・4から一つ選びなさい。
(1)以前のことです
本を読み続けても、面白くなるとはかぎらない。
2 買った本を何度も読めば、その価値が分かるようになるはずだ。
3 読書の面白さを知るためには、まず本を買って身近に置くことだ。
4 本の面白さは年齢によって変わるので、小學生からの読書が大切だ。
(2)大學の講義やゼミセールの場を通し、折にふれ、私は學生諸君に向かって、「せっかく大學に入ったのだから、一つでも多く知的感動を味わい、學問を楽しんでほしい」と語りかけている。
しかし、現(xiàn)狀を見ていると―――もとより私の力不足もあろうが―――殘念ながら、こうしたメッセージが若い諸君の心に十分、伝わっているとはいい難い。彼らのほとんどにとって楽しみの対象といえば、サークル活動やスポーツ、音楽、映畫、漫畫、あるいはさまざまなレジャーであり、それらはいずれも學問とは距離を置いたところにあるからである。
、私が日々接している學生諸君について言えば、彼らの多くは決して學業(yè)をおろそかにしているわけではない。彼らはそれなりに勉強し、高い學力を持っていることは間違いない。
こう書くといささか矛盾めくように聞こえるかもしれないが、大方の學生にとっては學問を楽しむ心の余裕を持つ以前に、まずは目先の目標を順にかたづけなければならないという“強迫観念”を先行するのであろう。具體的にいえば、単位の取得、進學、就職など実利的な目標の達成が、焦眉の急なのである。それはそれで仕方ないのであろうが、こせこせせず、もう少し精神の豊かさをもって學問を見つめ直し、大學生活を送ってもらいたいと、つい注文をつけたくなる。
問1 「こうしたメッセージ」とあるが、どんなメッセージか。
1 大學に入ったのだから、學問上のおもしろさを知ってほしい。
2 大學に入ったのだから、學問とは別の楽しみも見つけてほしい。
3 大學での卒業(yè)をおろそかにしないで、高い學力を身につけてほしい。
4 大學卒業(yè)のために必要な単位をとり、自分の希望をかなえてほしい。
問2 の中に入るものはどれか。
1 それゆえ 2 だからこそ 3 それどころか 4 かといって
問3 「それはそれで仕方ない」とあるが、何が仕方がないのか。
1 學生に伝えたい自分の思いが十分伝わらないこと
2 サークル活動やスポーツを楽しみの対象とすること
3 目先の目標をかたづけなければならないとあせること
4 一つでも多く、知的感動を味わい、學問を楽しもうと思うこと
問4 筆者によれば、現(xiàn)在のほとんどの學生の目標は何か。
1 精神の豊かさをもって學問を見つめなおすこと
2 いい成績を取って、進學あるいは就職を果たすこと
3 サークル活動やスポーツなどにより學問と距離を置くこと
4 自分のメッセージを、他の人に十分伝わるようにすること
(3)世界の諸民族のあいさつを調(diào)べてみると、(中略)握手に代表されるような相互的なあいさつはきわめてめずらしいことがよく分かる。それはたいていの社會で、身分や地位や役割がはっきり定めっているからにほかならない。また、毎日の軽いあいさつがおこなわれる社會が少ないというのは、それらの社會では人びとはもっぱら家族や親族や部族など所屬する社會集団の成員として生きていて、個人としての役割があまりみとめられていないことと関係している。そうした集団內(nèi)では、物のやり取りなどの際にも、ふつうあいさつはいらないのである。たとえばインドでは家族や友人のあいだではふつう感謝の表現(xiàn)はおこなわれない。かえってタブー視されるのだが、家族の食卓で塩を手渡してもらっても「ありがとう」という歐米流は、家族が一體になって暮らす社會では、むしろ“他人行儀”なことなのだろう。
日本人もいつのまにか家族のなかで「ありがとう」をくりかえすようになった。しかも、それは文句なしによい習慣とかんがえられているようだ。それは家族が身を寄せ合うようにして生きていた暮らしがすっかり過去のものになり、人間関係が様変わりしたことを如実に物語っている。
問1 「相互的なあいさつはきわめてめずらしい」とあるが、なぜか。
1 多くの社會では、人々の身分や役割がきまっているから
2 身分や地位に関係なく、握手が代表的なあいさつだから
3 毎日の軽いあいさつがおこなわれるのが、あたりまえだから
4 世界の諸民族では、身分や役割がまだはっきり定まっていないから
問2 インドについての説明として正しいものはどれか。
1 個人としての役割がみとめられているので、ふつう家族に「ありがとう」と言わない。
2 家族の食卓で塩を手渡してもらって感謝の表現(xiàn)を使わないことは、タブー視される。
3 家族や親族などの社會集団の成員同士の間では、感謝の表現(xiàn)がよく使われる。
4 家族が一體となって暮らす社會なので、あまり「ありがとう」と言わない。
問3 日本についての説明として正しいものはどれか。
1 「ありがとう」がよい習慣と考えられるのは、人間関係がかわって個人としての役割があまりみとめられていないからである。
2 かつては家庭の中で感謝の表現(xiàn)はあまり使われなかったが、最近はよい習慣と考えられて頻繁に使われる。
3 昔から家庭の中では感謝の言葉がよく使われていたが、最近は文句なしのよい習慣として定著している。
4 家庭の中で感謝の言葉がよく使われるのは、家族が身を寄せ合うようにして暮らしているからである。
問題Ⅲ 次の(1)から(4)の文章を読んで、それぞれの問いに対する答えとして最も適當なものを1・2・3・4から一つ選びなさい。
(1)以前のことです
