日語一級(jí)讀解練習(xí)[4]

1級(jí)讀解練習(xí) 5
一 次の文章を読んで、後の問いに答えなさい。答えは、1,2,3,4から最も適當(dāng)なものを一つ選びなさい。
東海道新幹線の「のぞみ」は東京と大阪の間を二時(shí)間半で突っ走る。「ひかり」より三十分近く短縮ということになった。午前六時(shí)東京発の下り列車は「明のビジネス超特急」と呼ばれているそうだ。
同乗記を読み、①面白いような悲しいような心地になった。乗客の八割は背広姿にかばんを提げた會(huì)社員風(fēng)の男たちだという。五時(shí)ごろには起きたはずだ。発車とともに弁當(dāng)を買い、そそくさと朝食。富士山が大きく見えるころには大半が就寢。「窓の外を見ても速すぎる。食うものを食って寢るだけ」だそうな。
乗務(wù)員も忙しい。時(shí)間との闘いだ。車內(nèi)販売の女性は、外の風(fēng)景をみて、それを時(shí)間の流れの目安西ながら仕事をした。今度はそれで目算が狂う。そこで景色は見ないことにした。速さの感覚に慣れた「ひかり」に乗務(wù)すると、②ほっとするそうだ。そうだろう。
③そうではあろうが、人々は、ふしぎなもので「のぞみ」にもまだ、いつのまにかなれるに違いない。どこまで忙しさに慣れてゆけば、人間は気がすむのだろうか。便利なものができ、④それに順応でくるのは結(jié)構(gòu)だが、人間が道具に使われることにはならないか。
⑤淺見祐三賛から聞いた話を思い出す。淺見さんは東京の牧師さんだ。長年インドネシアはスマトラ島のランプン州に住んで伝道をしていた。ある時(shí)、急いで三ヶ所に書類を?qū)盲堡胜堡欷肖胜椁逃檬陇扦俊N迨椁撙违攻抓辚ⅴ扦丹螭耸陇蛸Iって出た。
自転車で三ヶ所、二十キロほどを回る。帰って來た彼が、なぜか靜かで、ぼんやりしている。具合でも悪いのかと、わけをきくと、こう言ったそうだ。「速く回りすぎました。身は帰って來たんですが、魂がまだ帰ってきていないんで。」
私たちの戦後をも見ずに全力疾走、まだ走っている。
速すぎて、魂を置き忘れたりしなければ良いが。
問1「面白いような悲しいような心地になった」とあるが、なぜそのような気持ちになったのか。
1「のぞみ」が二時(shí)間半で東京と新大阪の間を走るから。
2乗客が景色も見ずに、弁當(dāng)をたべたらすぐ寢てしまうから。
3乗務(wù)員が時(shí)間と闘って、車內(nèi)販売をしているから。
4「のぞみ」の速度にいつか人が慣れてしまうだろうから。
問2②「ほっとするそうだ」とあるが、それはなぜか。
1外の景色で時(shí)間の目算立つから。
2車內(nèi)販売が暇になるから。
3ゆっくり外の景色が見られるから。
4乗客の大半が眠ってしまうから。
問3③「そう」が指す內(nèi)容として最も適當(dāng)なものはどれか。
1食べるものを食べて寢るだけということ。
2外の景色が見られないということ。
3「のぞみ」にはほとんど會(huì)社員しか乗らないということ。
4速さにまだ慣れないということ。
問4④「それ」が指す內(nèi)容して最も適當(dāng)なものはどれか。
1時(shí)間
2忙しさ
3人間
4外の景色
問5⑤「淺見祐三さんから聞いた話」とあるが、この話に対する筆者の気持ちはどれか。
1三ヶ所、二十キロを回るだけで、疲れるようではいけない。
2自動(dòng)車で回らなければならないのは、不便で仕方がない。
3日本は交通機(jī)関が発達(dá)していて便利だ。
4日本はすべてのものが速すぎる。
問6筆者はどのような気持ちから、この文章を書いたと思うか。
1便利さの代償に人間らしさを失わないようにすることが大切だ。
2忙しさに追われて病気にならないように注意が必要だ。
3さらに便利な社會(huì)をつくるために努力を続けなければならない。
4道具によって仕事の時(shí)間が短縮されても、時(shí)間の大切さは変わらない。
二 次の文の論點(diǎn)および問題となる事実について答えよ。
日本は、1960年代の高度成長を経て、國民総生産はアメリカにつぎ自由世界第二位となり、日本経済の動(dòng)向が他國の経済に大きな影響を及ぼす「経済大國」となった。1970年以降も、國內(nèi)的にはさまざまな困難を抱えながらも、世界全體からみれば、インフレも沈靜化しつつあるうえに失業(yè)率も相対的に低く、非産油國中數(shù)少ない大幅な黒字國となっているという點(diǎn)で、厳しい國際経済情勢(shì)のもとで、日本経済は比較的恵まれた狀態(tài)にあるといえる。それにもかかわらず國際経済社會(huì)の中でその役割を十分に果たしていないというのが、1970年代の先進(jìn)國による対日批判の背景である。
経済大國といっても資源の大半を海外に依存している事情を考えると、わが國が発展途上國などへの経済/技術(shù)援助を積極的に果たすことは、國際通貨問題の根本的原因となっている國際収支の不均衡の是正に貢獻(xiàn)し、同時(shí)にエネルギー資源を中心とする資源の安定供給體制を確立することに役立つであろう。このことが達(dá)成される時(shí)、今日の不安定な國際経済は少なくとも安定化への第一歩を踏み出すことになろう。そのためには、例えば大幅な黒字を減らすために輸入制限を逐次徹廃するなど、対外的な要請(qǐng)を優(yōu)先してそれによって生じる國內(nèi)の摩擦を最小限にとどめるための措置を講ずるといったことがもとめられよう。國際経済の現(xiàn)狀は不確定であり、好ましい狀態(tài)にあるとはいえない。現(xiàn)狀を改善していくためには、日本を含む先進(jìn)國間の協(xié)力は不可決である。こうした発想の転換こそが、日本経済の國際化ということの真の意味であろう。
(1)この文が、論じている問題は何か。
1國際貿(mào)易摩擦の解消
2日本経済の成功の原因
3先進(jìn)國間の経済協(xié)力の必要性
4國際経済における日本の役割
(2)次の中から、現(xiàn)在の狀況に當(dāng)てはまらないものを選べ。
1日本は輸入に対する制限をもうけてる。
2世界経済はインフレや高い失業(yè)率などの問題を抱えてる。
3國際経済はまだ不安定ではあるが、安定化へ向かい始めている。
4國際収支の不均衡の是正が、國際経済における課題の一つとなっている。
三 次の文の論點(diǎn)および問題となる事実について答えよ。
このような眼は日本人にはないのである。僕は一度もこのような眼を日本人に見たことはなかった。その後も特に意識(shí)して注意したが、一度も出會(huì)ったことがない。つまり、このような憎悪が、日本人にはないのである。「三國志」における憎悪「チャタレイ夫人の戀人」における憎悪、血に飢え入ッ裂きにしてもなおあき足りぬという憎しみは日本人にはほとんどない。昨日の敵は今日の友という甘さが、むしろ日本人に共有の感情だ。およそ仇討ちにふさわしくない自分たちであることを、おそらく多くの日本人が痛感しているに相違いない。長年月にわたって徹底的に憎み通すことすら不可能にちかくせいぜい「食いつきそうな」眼つきぐらが限界なのである。
伝統(tǒng)とか、國民性とよばれるものにも、時(shí)として、このような欺瞞が隠されている。およそ自分の性情にうらはらな習(xí)慣や伝統(tǒng)を、あたかも生來の希願(yuàn)のように背負(fù)わなければならないのである。だから、昔日本に行われていたことが、昔行われていたために、日本本來のものだということは成り立たない。
